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11 September 2015,Friday

松代真田藩の城下町をぶらり散歩してみた


◆堅実な兄のお陰で思う存分に生きて名を残した幸村◆

来年の大河ドラマ「真田丸」のロケがいよいよスタートしました。

経済効果を一番期待しているのは大阪市民の方々で、二番目は和歌山県九度山町の皆さん。

熱狂している上田市民に対して、大阪市民の方は冷静に歴史を認識しているようである。

「幸村は上田にはろくにおらへんやったやないかい」 (正しい関西弁か不明・・汗)

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↑長野市松代町にある真田宝物館。まずはここで真田氏の歴史の予習と復讐をしましょう!

まさにそのことであった・・・(汗)

【真田幸村についてのおさらい】

彼の正式な名前が「幸村」(「ゆきむら)なのか「信繁」(のぶしげ)なのか、しばし歴史学者の間や戦国ヲタクの間で度々争論になる。

確かに彼が実戦に参加したとされる第二次上田合戦~九度山への幽閉蟄居においては「信繁」とされており、「幸村」の名は記録に出てこない。松代真田藩の見解も信繁である。

が、江戸時代に入ると徳川幕府の公文書に「幸村」の名が出てきているという。恐らく大坂入城時以降に自ら名乗ったという説があるので意外に当たっているかもしれない。

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宝物館の見学の後は藩主御殿に寄ってみよう。お殿様の暮らしがチョッとわかるかも??


「名前などどうでも良いのである」・・(笑)

「真田安房守(さなだあわのかみ⇒昌幸の事)の二男坊の左衛門佐(さえもんさ)がえらいことしてくれましたわ・・・」

父ちゃんが名前で呼ばれず官位で呼ばれるのに、倅が名前など呼んで貰えるはずもない・・(笑)

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御殿の庭園。


幸村は甲斐の府中(山梨県甲府市)で生まれ育った。武田が滅亡すると上野国の岩櫃城に移り、第一次上田合戦では上田に移住していたというが資料はない。徳川相手に籠城戦を挑む昌幸は、二度も裏切った上杉景勝に後詰の援軍を求め、引き換えに幸村を越後に人質として送ったという。


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真田家の家臣となった小山田備中守の末裔の屋敷。嘗ては信玄配下の直属武将であった。


豊臣政権下における幸村の動向についてははっきりした記録が無い。景勝の元から密かに脱出させて秀吉の元に人質として送られ京都の聚楽第で過ごしたという説もあるが、案外と的を得ているのかもしれない。

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松代真田藩筆頭家老矢沢家の表門。祖父の幸隆(幸綱)時代より真田家を支えた名門である。


天正十八年(1590)、真田方の城であった上野国の名胡桃城を北条方の沼田城代猪俣能登守が奪取した事を発端おして秀吉による小田原征伐が始まる。幸村の初陣はこの時とする書物が多いが裏付ける記録や文書は無い。

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松代藩の鐘楼は信之が上田藩から松代藩に転封された時に作られ火の見櫓も兼ねたという。


秀吉の采配により、徳川配下の大名となった昌幸の長男信幸は、その将来を徳川家康に見込まれて、四天王であった本多忠勝の娘(小松姫)を貰い受けたのは周知の通りで、その後関ヶ原の戦いの原因となった会津上杉征伐の道中で親兄弟を二分する決断(犬伏の別れ)となった事は皆さんも良くご存知の事実である。

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松代藩真田家当主の代々の墓地のある長国寺。信之公の霊廟もあり見学は有料(案内付)


なので、大河ドラマでは幸村の出生から関ヶ原までの半生をどう描くのか非常に楽しみです。ドラマの最初には武田勝頼も登場するらしいので、群馬県の岩櫃城(いわびつじょう)も絡むんでしょうネ。

意外な配役となった大泉洋の演じる兄の信幸(のち家康に遠慮して信之と改名)はどういう人物像で描かれるのか興味津々。「冷静沈着」という従来のイメージを打破するんでしょうか?


なんだかんだ想像を膨らませて、武家屋敷が多く残る松代の城下町を歩くと結構楽しいですよ。

皆さんも真田丸の予習として信之が心血注いで整備した松代の城下町をぶらぶらしてみませんか。


【おまけショット】

では最後に2004年に古図に基づいて忠実に復元された松代城を少しだけご案内。

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本丸入口の橋詰門とその向こうの太鼓門。


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戌亥櫓台の石垣は豪快な野面積み。天主閣は建てられなかったというのが通説。


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戌亥櫓台から見下ろした北不明門とその周辺。


徳川軍を完膚なまでに叩きのめしたのは、武田信玄(三方ヶ原の戦い)と真田氏だけである。
さぞかし家康には嫌われていたかと思いきや、松代真田藩の扱いは外様大名ではなく、譜代大名に準じた扱いであった。(小諸藩⇒上田藩の藩主となった仙石氏も同じ)

松代真田藩の初代藩主の信之は何と93才まで生きた。当時の平均寿命の2倍である。
がしかし、裏を返せば真田家の安泰と存続の見通しがつくまで心配で心配で死ねなかったという事である・・・・・(涙)

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