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05 August 2008,Tuesday

信州にもある五稜郭

★ロマンチックな星形をした西洋式のお城~でも地上からじゃわからない?!★

「五稜郭」といえば、函館市にある幕末の西洋式城郭であり、旧幕府軍(榎本軍)の最後の砦であったことは、みなさんもよくご存じですよね。

実は「五稜郭」というのは日本に2つ存在します。
もう一つが長野県佐久市臼田にある「龍岡城 五稜郭」なんです。
CIMG1841.JPG
↑最近出来た展示資料館(無料)にある龍岡城五稜郭のジオラマです


「なんだ、模型で復元しただけ?」いえいえ、ちゃんと現存してますよ。だって、普通に写真載せたんじゃ、その独特な「星形」はわかりませんから(笑)。

CIMG1882.JPG
↑この写真だけじゃ、そこらの公園と一緒ですよね

【函館五稜郭】
蝦夷地(北海道)を治める函館奉行(幕府)が、函館港の防備強化を進めるための計画として様式築城技術を駆使して建設されたものです。ヨーロッパの城塞都市をイメージして造られています。
幕府による築城ですから、かなり大規模な構造になっています

【竜岡城 五稜郭】
龍岡藩最後の藩主「松平乗謨(まつだいらのりかた)」が1867年に完成させた西洋式の城郭です。彼の家系は徳川に改姓した松平宗家ではなく、分家筋にあたる14松平の一つ「大給松平(おぎゅうまつだいら)」なので、家柄の格式により代々城を持つことは幕府より許されていません。ですから、「陣屋」として幕府に着工許可を願い、ほぼ完成させました。(堀は工事半ばで中断されていますが・・)
築城当時の彼は幕府の老中と陸軍総裁を兼務していて、西洋式築城や兵法を熱心に学んだ影響を伝えています。

CIMG1842.JPG
↑当時の領民にも公開された見取り図。普通に考えたら重要機密じゃないのかなぁ?

しょせん1万6千石の田舎小藩(失礼)では、幕府の100分の1程度のミニ五稜郭を作るのが精一杯でしたが、でもそこには彼の情熱と夢の実現への執念が感じられます。
※のちに彼は明治政府で勲章制度の導入をしたり、赤十字社の前身である博愛社を作り、活躍します。

ちなみにこの城の稜線(土手)を一周しましたが、距離は682メートル、時間にして15分ぐらい。

CIMG1862.JPG
現在、城跡は「田野口小学校」として利用されています。この日も野球大会が開かれてました。彼の未来への夢は代々この小学校の生徒に受け継がれているんですね。自分の母校が日本に2つしかない「西洋のお城」なんて、素敵ですよね。(でもキョーミなくちゃただの学校か!)

≪おまけ≫ 
①五稜郭タオルとか手作りクッキーなんかも売ってました。でもお金忘れてきたので買えませんでした。ゴメンなさい。
CIMG1851.JPG

②小海線にはその名の通り「たつおかじょう」という駅があります。城跡へはこの駅から徒歩15分です。
CIMG1893.JPG

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